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コンラート1世 (シュヴァーベン大公) : ウィキペディア日本語版 | コンラート1世 (シュヴァーベン大公) コンラート1世(Konrad I.、915/20年 - 997年8月20日)は、シュヴァーベン大公(在位:983年 - 997年)。949年のヘルマン1世の死以降初めて、再びコンラディン家でシュヴァーベン大公位に就いた人物である。 == 生涯 == コンラートとその家族に関しては不明な点が多いが、クノ・フォン・エーニンゲンと同一人物とみられている〔e.g. Wolf, 'Wer war Kuno von Öhningen?'; Hlawitschka, ''Konradiner-Genealogie''〕。両親については不明であるが、父親をヴェッテラウ伯ウド、母親をヴェルマンドワ伯エルベール1世の娘とする説がある〔Brandenburg, ''Die Nachkommen Karls des Großen'' table 3, VII.9; Schwennicke, ''Europäische Stammtafeln'', table 49.〕。妻についても不明であるが、神聖ローマ皇帝オットー1世の子リウドルフの娘レグリント(またはリヒリント)〔Wolf, 'Wer war Kuno von Öhningen?'; Jackman, ''The Konradiner''; Fried, 'Prolepsis oder Tod'〕、またはマルヒタール伯アダルベルトの娘ユーディトと考えられている〔Hlawitschka, ''Konradiner-Genealogie''.〕。 981年から982年にかけてのイタリア遠征の間に、シュヴァーベン大公オットー1世が嗣子なく急死したため、皇帝オットー2世はコンラートをシュヴァーベン大公に任じた。コンラート以降、シュヴァーベン大公位はコンラディン家が継承し、997年にコンラートが死去した後は、息子ヘルマン2世がシュヴァーベン大公位を継いだ。
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